3日、映画『マチネの終わりに 』を観に行ってきました。
映画は福山雅治演じる世界的なクラシックギタリスト蒔野聡史。蒔野と運命的に出会う石田ゆり子演じるジャーナリスト小峰洋子。そして蒔野のマネジャーでもあり後に妻となる桜井ユキ演じる三谷早苗。この三者の人間模様に成り立つ映画です。
率直な印象としては余白が多く、若干各シーンの整合性がスムーズに流れない坦々とした映画というふうに私には映りました。特にテロのシーンなどはそれほど強調する必要があったのかと思えましたが、しかし反して日常に重なる面も数多くあり、偶然、運命、嫉妬、策略、裏切り…。そうした中の切なさやすれ違い、またやるせなさ、いきどおり…、枯渇し突き動かされる程の欲求、その中に見るそれぞれの幸福感…。映し出された一コマ一コマは過去ともオーパーラップし心の襞に染み込んでくるような映画でもありました。
◼︎マチネの終わりに
https://www.toho.co.jp/movie/lineup/matinee-movie.html
蒔野の語る「 人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし変わってしまうとも言える。過去はそれくらい繊細で感じやすいもの… 」という言葉がとても印象的でした。
まさしくここにこの映画のテーマもあるのでしょう。
この様に過ぎ去った過去は変えられないものではなく、今、そしてその後訪れる未来によって常に変化しているもの、私たちが受け捉える私観によってどの様にでも映し出すことができ変えられるものだと訴えかけてくるような映画でもありました。
補足として蒔野に嘘をつくシーン、罪悪感に揺れ動く心の葛藤、また蒔野を洋子へと返すユキ、三谷早苗の演技は絶妙、心が震えました。彼女の演技なしにこの映画の深みは出せなかったのではないかと思います。
また石田ゆり子はいつもより疲れ老けて見えましたが、わざとそういう作りを演じたのでしょうか、それとも私生活に何かあったのでしょうか。でもそこがまた映画をヨーロッパ的な悲壮感を醸し出してくれてもいました。
それから観終わって日が経つ程に不思議と音楽が記憶から消えていく映画でもあります。
最後に、
「出会ってしまったから、その事実をなかったことにはできない」と洋子に告げた蒔野。
この様な時人はどのような行動をとることが正しいことなのでしょうね。
全てはやはり未来に委ねられている…のでしょうか。
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