映画・蜜蜂と遠雷

映画
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25日、『蜜蜂と遠雷 』を観に行ってきました。上映は21時、約2時間の映画です。
◼︎蜜蜂と遠雷
  https://mitsubachi-enrai-movie.jp/sp/ 

映画は4人のピアノ奏者にスポットを当てた物語、音楽のみを追求する三人の天才と一人の凡人が織りなす永遠が描かれていました。





配役は主役が松岡茉優演じる栄伝亜夜。
彼女の天性を引き出す使者としての鈴鹿央士演じる風間塵。
良き同士…、友人としての森崎ウィン演じるマサル(マサル・カルロス・レヴィ・アナトール)。
そして映画全体を下支えしていた生活の中のピアニスト、松坂桃李演じる高島明石です。

彼らそれぞれのピアノ(音楽)に向き合う在り方を透し、自らの存在意義や魂の成り立ちを知ろうとする欲求は純心で美しいものなのだと投げかけているような映画でした。

私たちは愚痴や不平、諦めからの逃げ言い訳などで日常を覆い隠しながら埋もれていますが、本当は魂の淵源を追い求める欲求がある、そう思わせてくれる映画に私にはなりました。エンドロールも終わり、館内が明るくなってもしばらく放心状態から体を動かせないほどでした。映画を引き立てる音楽が本物だったからです。

本物である…ということは何か。

今する仕事も逃げ。
車も車いじりも逃げ…。

天才だから…というすり替え。
凡人だからという言い訳。

あきらめが必要という甘えも…。
ある意味自らを見切ってしまったからこその現状への納得、家族のため、時間がない、仕方がないと言いながら適当に今に興味を持ったふりをして日々を過ごしているのではないか…。
好きも嫌いもやりたい事も…、全てが言い訳や曖昧の中に埋れてしまっています。

しかしその中で気になったのは、
「好きでいていいんだ…」と語る明石の一言。それがいま脳裏を巡っています。
この言葉は他者への憧れと称賛の中で明石が辿り着いたものでした。

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